デル・ピエロに惚れ、イタリアに恋をした小4の春、、、

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こんばんは。バタバタしすぎて更新が進みませんが気長にお待ちください。

本日は、イタリアを好きになった経緯をお話しします。興味ないかもしれませんが笑

まず私は、小学校2年生ぐらいにサッカーを始めました。

始めたというよりは、週に1回あるかないかの近所の大きめの公園でやっているようなスクールに通いました。

おそらく名前はユ◯サとかだったような…

その前は野球してました笑 確かクリスマスプレゼントもskk?のグローブでした。

ただなんとなく、学校でみんなが休み時間にサッカーをやっていたので、一緒になって始めたのがきっかけだったと思います。

それから小学校3年の2月に家族で引越しをするのですが、それまでは鹿島アントラーズが好きでしたね笑

理由はたぶん強かったからそして若手の本山選手が好きでした笑

印象的なのは声変わりしてない甲高い声!!!今はもうしたのかな?

それから先ほども述べたように、家族で引越しをしました。

その春、EURO2000が開催されました。

その当時、遊びのPKはみんながトッティの真似をしてチップキックで蹴っていましたね。

そしてちょうどその時期に、友人の家でwowowが見れるようになりました。

今でこそリーガエスパニョーラ独占放送ですが、

当時は世界最高リーグはセリエAでしたので、普通に放送されていました。

父がデル・ピエロファンだったこともあり、当時サッカー少年だった私は、その選手がユヴェントスというチームに在籍していると知りました。

まさにその当時ですね。ヒデがローマで大活躍をしていたこと、トッティとデル・ピエロが代表で共存できないなどという話題が毎週のように出ていました。

母はイケメン好きなので、当時トッティ推しでした。しかし父は、デル・ピエロでした。

正直私は当時、どちらも好きでした笑

ただ、本当にデル・ピエロが好きになったのは、どこか自分を重ねていた気がしました。

身長は高くないむしろ低い、フィジカルも特別強くない、

走るスピードもドリブルのスピードも速いわけではない。

アスリートとしての身体能力的には決して高くないのです。

なのに、抜ける。なのに、ゴールする。

それを補うテクニック、間合い、シュート、視野の広さ、数えればきりがありませんが、

そういったところが当時憧れた理由でした。

なぜ抜けるんだ?なぜそのスピードで決まる?パスはいつ出した?

小学生の私には、衝撃的でした。

私も背は低く体は小さく、スピードもないというスポーツに向いてない身体能力レベルでした。

ただ、体力だけはそこそこありました笑

ポジションも左に取り、左足で蹴れるように練習もしました。

当時はもクラブチームで火木土日、サッカー部で月水金と、週7でサッカーをしていました。

そのせいで、一時期サッカーが嫌いになりました笑

そしていつの日か、中学ではテニス部に入りたいと思うように…笑

まあそれでも、好きなサッカー選手を聞かれたら、デル・ピエロと答えてましたね。

まあそんなこんなで、私の永遠のアイドル、デル・ピエロと出会うきっかけでした!!!

次回、『2002日韓W杯!韓国に負けて大泣きした小6の俺編』すぐ書きます!!!

 

ABOUTこの記事をかいた人

ユヴェントスのシーズンチケット欲しさにイタリア移住を試みる。 現在シドニーにて毎月30万円貯金しながらインターネットビジネス構築中。 本業はバイヤー。全てはイタリアの為に。